1992年
2月11日〜18日とブラックヒストリー月間に11日間でアフリカ大陸の6カ国を訪問し、アフリカ大陸の30,000マイルを旅した。その間に病院、学校、教会、児童施設、
障害を持つ子供の教育機関(NPO)などを訪問した。
アフリカの病院を慰問するマイケル(左)
2月3日
ニューヨークのラジオシティーホールでヒールザワールド基金の設立について話をした。団体のミッションは世界中の子供たちの支援を行うこと、虐待からの保護、援助、医薬品の提供、飢餓対策など。それと同時に子供の人権と重要性に対する意識を向上させることにより世界の生活水準を引き上げること。
3月1日
ブッシュ大統領(父)から2度目の「ポイントオブライト賞」を受賞した後、犬にかまれて重傷を負ったレイナル・ポープ少年を訪問。
5月6日
レイモン・サンチェスの葬儀費用を負担。サンチェスはカリフォルニア州で起きた
ロドニー・キング事件で死亡した。
6月26日
ミュンヘン市長ジョージ・クロナビッターに40,000DMの寄付金を手渡した。この寄付金は都市部に住む恵まれない子供たちのためのものだった。
6月29日
オランダロッテルダムのソフィア子供病院を慰問し100,000ポンドを寄付した。
7月
ローマの「ラパルティータデルクオレ」に821,477,296リラを寄付。エストニアとラトビアの子供のための基金に120,000DM寄付。
7月25日
ダブリンでの公演期間中にコンサートの収益から400,000ポンドを子供の団体に寄付することを発表
7月29日
ユーロディズニーランドから招いたミッキーマウスとミニーマウスと一緒にロンドンのクィーンエリザベス子供病院を慰問して子供たちにおもちゃを配った。
7月31日
ウェンブリースタジアムの二回目のコンサートの前に、「チャールズ皇太子基金」に
200,000ポンド小切手の寄付をした。この年、「ヒールザワールドヨーロッパ子供会議」がイギリスで発足、その時に84人の8歳から16歳までの子供達が地球規模で起こっている切実な問題について話し合い、可能な解決策などについて話し合った。喉頭炎で体調を崩していたにもかかわらず、マイケルはリージェンツカレッジでのこの
会議に参加した。
8月16日
リーズでの公演の舞台裏で、ガンの治療中に視覚障害を負ったニコラス・キレン(6)
と対面した。
彼らはプリマスで食べたものの歴史
9月
スペイン女王主催のチャリティーに1,000,000ペセタを寄付
9月30日
デンジャラスツアー中、ブカレストのリーガヌルデコピスファンタエカテリーナ孤児院の子供たちを慰問。記者会見でHTWFの方針について話し、プレイデイという団体を通じて、孤児たちのための遊び場を500造るための資金10,000ドルを提供すると発表した。ルーマニア大統領もここに立ち会った。ここでのコンサートの収益の一部がセルビア難民に寄付されたと伝えられている。
当時のニュース映像。子供達の遊び場の様子も見れます。子供だけではなくておばあさんにも親切なマイケル
この日が「ヒールザワールド」活動の正式な活動開始日になりました
10月1日
ブカレストでのコンサートを世界TV中継することを決定。ルーマニアは孤児院の数が多いことで当時知られていた。
11月24日
ニューヨーク市のジョン・F・ケネディー空港で旧ユーゴスラビアのサラエボに向けて
43トンもの医薬品医療備品、毛布、冬物衣料などの救援物質の貨物航空便への
積み込みに立ち会った。これは戦禍で苦しむ子供たちへのものだった。HTWFは
ANERICAREと協力関係を結び、国連を通じて210万ドル相当の救援物資をサラエボに送った。これらの援助はセルビア人、クロアチア人、またイスラム教徒にも分配された。
12月26日
マイケルはこの時点までに、UNCFの「マイケルジャクソン大学奨学金基金」からの奨学金で200名の若者が教育を受けることができたことを認めた。
1993年
1月26日
ロスアンゼルスのセンチュリープラザホテルで記者会見を開き、新しい児童支援活動「Heal LA」の設立を報告。この活動は「シティーズインスクールズ」「ビッグブラザーズ、ビッグシスターズ」「ベストファウンデーション」「パートナーシップフォードラッグフリーアメリカ」と提携し、都市部の若者の問題に取り組むためにAIDS予防指導プログラム、健全育成、カウンセリング、予防接種キャンペーンを行うものだった。
2月
リバプールのマーシーサイドで、二人の少年によって殺害された、ジェームズ・バルジャー(2)の両親に弔意を送った
セガとの協力で、イギリスの子供病院、孤児院、チャリティー施設などに、10,800ドル相当のコンピューターゲームと機器を寄付した
3月
ペンシルベニア州の出生証明書のコピーを取得する方法
家族向けの映画を製作する独立系会社の設立を発表
その収益の一部はHTWFの資金に使われる
4月26日
「ヒールLAツアー」の一環として、「ヴァッタスクールファウンデーション」と「ロスアンジェルスハウスセントラル」の二つの教育施設を訪問。子供たちやスタッフとディスカッションを行った。
5月5日
ジミー・カーター元大統領と「ヒールアワーチルドレン、ヒールザワールド」会長のマイケル・マイケルジャクソンはジョージア州アトランタを訪れ、「アトランタ予防接種促進プログラム」のPRを行った。この活動は「ターナーブロードキャスティングシステム」や「ロナルド・マクドナルドチルドレンズチャリティース」などがスポンサーとなって、
ファミリーヘルスケアを通じて予防接種を受けられる子供の数を17,000人以上に増やすように支援するものだった。
6月
「スーパーボールハーフタイムショー」の収益と、HTWFの基金125万ドルをロスアンジェルス暴動で被害を受けた子供たちと「ヒールLA」に贈ることを発表。
6月10日
ロスアンゼルスの「チャレンジャーボーイズ」と「ガールズクラブ」の子供100人を招いてイベントを行った。マイケルは虐待の危険を子供たちに教える「デアプラスプログラム」の紹介した。
6月18日
ワシントンの病院を訪問して数時間そこで慰問を行った。子供たちに話しかけたり、一緒にチェスをして過ごした。また、胃腸の難病に罹ったマロリー・シール(8)に
手紙と寄付金を贈った。
ワシントンの病院を慰問するマイケル
8月
ペプシとのパートナーシップを通じて「マハ・キャクリシリンドホーン王女基金」とルーラルスクールチルドレンアンドユースディベロップメント基金に40,000ドルを贈り、
タイの地方の学校給食プログラムのスポンサーになった。
同月、ロシアのモスクワの児童施設と、アルゼンチンのブエノスアイレスの病院に新しい救急車を寄付した。
9月
日本の米軍基地にある学校を訪問。重病を患うオランダ人の15歳の少年
マルティン・ヘンドリクセンと彼の兄弟に対面。「メイクアウィッシュファウンデーション」の仲介で日本での面会が実現した。
9月20日
イスラエルのテル・アビブに滞在中、病院を訪れて患者を慰問。滞在先のホテルではバルコニーから集まったファンに記念品を配った。
インドのニューデリーでのコンサートの収益から、パートナーのペプシからとして
子供のための観光名所
「ガンディー子供基金」に160,000ドルが贈られた
10月1日
10万ドル寄付金を、子供たちの健康問題を改善するために、ニュージャージー州、ニューワークのチャイルドディフェンス基金、小児糖尿病基金、アトランタプロジェクト、ボーイズアンドガールズクラブに贈った。
10月22日
チリのサンティアゴの病院を慰問
10月28日
メキシコの5000人の子供たちをしゃちのケイコが暮らす「エルヌーボーレイノアドベンチャーパーク」に招待した。同月ブラジルのリオデジャネイロのコンサートで、何千枚ものチケットを恵まれない子供たちにプレゼント。アルゼンチンのブエノスアイレスでも同様の寄付をした。
11月5日
メキシコシティーのハードロックカフェで、孤児院の子供たちのために催された
フェスティバルに参加
12月
HTWFはゴルバチョフ基金USAと協力して、ジョージア州ツビリシの貧困家庭の子供たち6万人分のワクチンを提供した
12月16日
マイケルとHTWFはイギリスの「オペレーションクリスマスチャイルド」に協力した。
この団体の子供たちはは10万個(3万個という説もある)のギフト(おもちゃ、お菓子、学用品、写真、手紙などをつめたもの)を、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボの子供たちに空輸した。
1994年
50万ドルをエリザベス・テイラーAIDS基金に寄付
1月7日
マーティン・ルーサー・キングJr.の誕生日に、100人の恵まれない子供たちをネバーランドに招待。HTWFは地震で家を失ったロスアンゼルスの子供たちに、ユニヘルス、ロスアンゼルス予防接種協会と協力してワクチンを接種させた。またディスカバリープレイシングズと協力して、ワクチンを受けに来た子供たちにおもちゃを配った。またHeal LAはアル・ウートンjrヘリテージセンターなどの、ロスアンゼルス、サンフェルナンドバレー地震の被災者のシェルターに85,000ドルを寄付。GE、リーヴァーブラザーズ、サーフ・ウォッシュと協力して25のNGOとフリーローンドリーサービスに石鹸、洗濯機、乾燥機を提供して被災者を支援した。また、Heal LAとサルベーションアーミーは400人の家を失った人々とその子供たちをユニバーサルスタジオに招待した。マイケルはコミュニティースポーツアンドアート基金の100人の子供たちをネバーランドに招待。写真を撮ったりサインをして楽しいときをすごした。また一緒に「ベートーベン2」を鑑賞したり、遊園地や動物園で遊んだ。
2月22日
「ジャクソンファミリーオーナー」のイベントでの収益が当時ジャクソンファミリーが運営していたNGOである「ファミリーケアリングフォーファミリー」に収められた。このイベントでの寄付金を募るために、エリザベス・テイラー、ベリー・ゴーディー、マイケルがジャクソンファミリーとともに「If You Only Believe」というチャリティーソングを歌っていかなる困難にも負けず人生を歩もうと言うメッセージを分かち合った。
夏
HTWFはロスアンゼルスユニファイドスクールデストリクトなどとパートナーシップを結んでジャネット・ジャクソン、L.A.レイカースジャム(NBA)とビーチボーイズのコンサートノチケットを2,000人の子供たちに寄付した。秋にはHeal LAはロスアンゼルス地区の6つのミドルスクールでのロスアンゼルステームメンターリングプログラムの発足に基金を提供した。このプログラムは300人のボランティアを配置して、サウスセントラルロスアンゼルスからビコユニオン地区までの1000人以上の生徒をケアするプログラム
8月6日
マイケルと妻のリサマリーはハンガリーのブダペストの子供施設を訪れ、病に苦しむ子供たちにおもちゃを手渡した。HTWFがトイザラス、AMERICAREsと提携して
20,000ドル相当のおもちゃ、食料品などを提供した。「マイケルジャクソン観察日記」の著者、エイドリアン・グランドはその施設に一緒に訪問し、このときの感動的な出来事について10年後にファン雑誌のインタビューで話した。「このとき、とてもすばらしい出来事が起こりました。マイケルが瀕死の状態で数週間動くこともできずにベッドに横たわっている8歳の少女に微笑みかけると、彼女はマイケルのほうに手を差し出したのです。マイケルのスーパースターとしての魅力がこんなにポジティブな変化をこの少女にもたらすことを見ることができたのは本当にすばらしい経験でした。」
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