2012年4月17日火曜日

RIMA'S WEBLOG: February 2008


この日曜日、ニューヨーク在住の日本人アーティストに会いにいったのですが、いろいろと興味深い事を話してくれました。彼女は日本で修士号を取った後、パ リにあるエコール・デ・ボザール(美術学校)に入り、その後、ニューヨークに来た方なので、東京、パリ、そしてニューヨークの三都市のアートについて知っ ているのです。

「ニューヨークのアートはギャラリーの箱の中で終わってしまって、おもしろくない。」

私がパフォーミングアートについて前から感じていた疑問、そしておそらくニューヨークに来てからさらに深まった疑問が;パフォーミングアートではいったい どうやってお金が稼げるのか。

多くの方が持っているアートに対するイメージとは異なり、アートもまた商品であり、アーティストもお金を稼いで生きていかなければならない人間。特に ニューヨークのアートは完全なる資本主義で動いており、売れなければ結局、一人前のアーティストとは言えず、またそれと同時に、富裕層はアート買う事で アートを支え、時には育てていく。その媒体としてあるギャラリーは、結局はビジネスで動いており、売れるアートとアーティスト、そして多額のお金を落とす ブルジョワしか相手にしていないのが現実。そんな世界においてはやはりアートはやはり売れる「形」でなければならないのではないか。つまり従来通りのペインティン グやスカルプチャーでなければ。


ここで、iは、バージニア州の陶器を行うことができます

しかしそれと同時に、ポストモダニズムの流れのためか(個人的にはそう考えているのだが)、インスタレーションやパフォーマンスアートが近年増えつつあ ります。つまり、モダニズム的なユニバーサルなもの、「どこでも、いつでも」というものとは反し、「今、ここ」でしか存在しない作品であり、時と場所が変われ ばその作品は二度と成立しないものです。ですが、そうなると、どうやって資本主義のサイクルに組み込まれる事ができるのか。どうやってアーティストのお金が入ってくるのか。特にまだ有名ではないアーティストの場合は。有名なアーティストであれば、どこかの美術館でその活動を行えば確実にお金が入ってきます。なぜなら、美術館は基本的に入場料を取るところであるし、そうでなくとも、特にアメリカの場合は、ハイクラスの人々がなんらかの形でお金を寄付していることが多いからです。ですが、そんなのはほんの一握りのトップクラスのアーティストだけの話であって、名のある美術館以外の場(ギャラリーやアートフェア)でパフォーマンスアート、インスタレーションをしても、そういうところの多くは無料であり、� ��常のアートビジネスの形式ではアーティストはお金は稼げない。となるとパトロネージのような形でなければ、パフォーマンス、インスタレーションアートを支える事は難しいのではないか、しかしパトロンになるような人も限られるだろうし、そしてパトロンを得られるようなアーティストもまた一握り、、、と考えたことがあって、そんなことを少し聞いてみると、やはりニューヨークでは売れる形になっているアートに収まってしまう事が多いという。ヨーロッパなどと比べると、資本主義の枠から外れるようなパフォーマンスアートはなかなか育つのが難しいと。

もちろん、全くの皆無であるというわけではありません。事実、ギャラリーなどでもこれまで興味深いインスタレーションやパフォーマンスアートを見た事があ� ��ます。ですが、ニューヨークと比べると、やはりヨーロッパのアートの方が(少なくともその方にとっては)おもしろく、それはヨーロッパではニューヨークのような完全な資本主義でアートの世界が成り立っているわけではないからだと言っていました。ヨーロッパ、特にフランスでは、国がアーティストを支援する事が多いので、アーティストはそれほど生活やお金の心配をすることなく、思うように自由なアート活動ができ、そのため、これまでの型にはまらないようなアートを生み出す事ができると。


石工は何を行うのですか?

また、こうした要因を受けてか、ニューヨークでは、やはり結局のところ、一部の人間、ハイクラスの人々だけの特権的なものとなってしまっているのも事実。それに対し、フランスでは、その辺のおばちゃんがバスの中で、最近ポンピドゥーセンターで開催されていたよくわからない現代アートの展覧会について議論していたりするそうです(その内容は、もちろん、高尚なものとは全く限らないが。。)。

もちろん、そのパターンが全く良いとは限りません。国からの支援を得られるようなアーティストは限られていて、それ以外のアーティストが個々人で活動していくのは難しく、自動的に諦めざる終えない状況となります。逆にニューヨークでは、いわ ば誰でもアーティストになろうと思えばなる事ができ、誰にでもチャンスが転がっていて、うまく資本主義の流れにのることが出来れば、一躍時の人となることもあり得る(そしてもちろんその次の瞬間に転落してしまう可能性もあるが。)国からの支援となると、また、それは自国の文化を守るためという理念からうまれたものですので、そこで多少なりとも、ナショナリズムの問題も絡んでくるのかもしれません。

アーティストも人間であります。そしてこの時代に生きる人間である以上、資本主義の原理というのは無視できません。それと同時に、アートは資本主義とはうまく噛み合ない部分ももちろんでてきます。そんな時、どうするべきなのか。

まぁ、アートなんて、究極的にはなくても何の害もないものであろうし� �その価値が本当にどこにあるのか、その価値は結局社会・時代によって構築されたものであろうし、どうだっていいと思っている人間の方が多数でしょうが。


シャノン滝BC

ちなみに日本について;これは個人的な意見でありますが、やはり、少なくとも現在において、そして特に現代アートに関して、日本人は自分たち自身で価値判断ができないのではないかと思います。ここ最近、日本で有名になってきているアーティストの多くは「逆輸入」のアーティストです。つまり、海外で評価されて、その評価をもとに、日本で最終的に紹介され、人気が出る。私が会ったアーティストの方も「日本のような『個』がない社会で、自分たちで価値判断ができると思いますか?」と言っていました。確かに、アートは多数の人が評価する事で、あからさまに価値(金額)が上がるものです。しかし、それと同時に、やはり、アートは鑑賞者それぞれ個々人が、 そのアート作品の存在意義を考え、そして個々人でその価値を判断していかなければならないのではないでしょうか。アートは感性と理性で成り立っているものです。感性だけで成り立っているわけでも、理性だけで成り立っているわけでもありません。好き嫌いや第一印象だけで判断できないし、すべきではない。それぞれのアートはそれなりの思考がその背景に存在してます。ですが、アートはやはり思考の完全な翻訳でもありません。だからその解釈の仕方はオープンなものでもあります。アーティストが予測してないものを鑑賞者が読み取る、感じ取る事もありますし、それがその作品の新たな可能性ともなります。その作品の持つ意味や思考を吟味しながらも、しかし感覚的に好きになれないものは、結局好きになれないのも事� ��。それがアートの面白さであり、難しさであり、そして魅力です。感性か理性か、そのどちらかで成り立っているわけではない、その両方で成り立っている、だからこそ、一つのアート作品には予測できない可能性があります。そしてその作品がそこにない限り、誰一人として、それを持つ可能性を思い描く事は出来ない。そしてアートは人間によって生み出されるものであり、つまり、人間の可能性でもあるのです。

This Sunday, I met a Japanese artist living and working in New York. She told me interesting things, especially differences between New York and Europe and Japan. After she earned MFA in Japan, she went to Ecole Des Beaux-Arts in Paris, then she came to New York, so that she knows about art world in three cities.

"Art in New York is not interesting because it is finished within the space of the gallery"

I have had one question as to performance art, which has became to more crucial for me since I came to NY; how does performance art bring money?


It is just a myth that artists live in a different world; art works are subject to business and artist also are human beings who have to earn money to live. Especially, art in New York is totally driven by the mechanism of Capitalism. If they cannot create any works which will be sold, no one regards them as "artists." On the other hand, upper-class people support artists and art through purchasing them. The galleries as medium, which motivated by business interest, work only for art pieces and artists which have commercial values, and for bourgeoisies who spend a lot of money. This is the reality. So that, art must be a "product" which is able to be sold, such as a painting or a sculpture.

However, at the same time, since it is in post-modernism era (which is my completely personal thought), installation art and performance art are increasing in number. Contrary to the modernism ideas of "universal" and "anywhere and anytime," installation art and performance art are able to exist only "now and here"; they cannot be realized in the completely same way in a different time and place. But, how can such a art work be integrated into this Capitalism business cycle? How can artists earn money? In case of famous artists, they have a lot of chance to have exhibitions and performance in museums which requires admission fees and many upper-class people donate especially in the United States, so that the museums can afford to pay money to the artists. But only a tiny percentage of artists have such chances. And usually galleries and art fairs require no admission fee. So there is no chance to earn money in usual art-business ways. So how can they get money? Patronage might be one way to support performance and installation art, but there are few people who are willing to be patrons and there are also few artists who can find patrons...

With such thoughts, I asked the artists whom I mentioned above about performance art, she said that many artist make art works which are able to be sold in New York. Especially comparing to Europe, it is hard to continue to do performance art which is out of commercial rule.

Of course, there are also interesting and impressive installation and performance art in New York. But, at least according to the artist, European art is more interesting because, in Europe, especially in France, art is not driven only by Capitalism. Some European countries have a system to support artists by the government, which let artists create art freely without concerning about money so seriously. And that enables them to create new art.

Also, for these reasons, only a few people, only upper-class people can enjoy art in New York. In France, people, who are apparently not bourgeoisies, are chatting about the exhibitions at Pompidou Center (of course, what they are talking is not always sophisticated.)


Of course, it is false that that is the best way. Only limited numbers of artist are able to access to the support from the government, and it is difficult to survive without that. On the other hand, in New York, it is the fact that anyone has a chance to be an artist and you have a chance to make a success (of course, there are a lot of possibility of loosing that success if you get that.) Also, the support from the government, which comes from the philosophy of protection of the national culture, is related to the issue of nationalism somehow.

An artist is also a human being. And as a human being living in this time, an artist can never ignore the rule of Capitalism. But at the same time, art have some things which cannot fit to Capitalism. So what we should do then?

By the way, regarding to art in Japan; this is just my personal opinion, but Japanese cannot decide the values of contemporary art works, at least nowadays. Many Japanese artist who are popular in Japan recently are "re-imported" artists. That means they became popular in foreign countries, then they are introduced to Japan in the end. The artist to whom I talked also said "how can people decide the value of art by themselves in the society which has no exact idea of 'self' or 'individual'?" It is true the value of each art work is raised by evaluation from many people. But at the same time, each viewer has to think by his/her own about the meaning and the value of each art work. Art is created by both intellect and sensitivity. We cannot and should not tell the value and meaning only with the first impression. There is always thoughts behind each piece. But art is not just a translation of the thought. Therefore, it is open to various interpretations. Sometimes the viewer find something which the artist did not expect at all. But that is one new possibility of the art. At the same time, even though we examine the meaning and understand the thought behind the art, we cannot like some art works. That makes art interesting, difficult and appealing to us. Because art is created by both intellect and sensitivity, each art has a huge possibility. And if each art work does not exist, no one can image the possibility which the art work is suppose to have. In addition, art is create by human beings, so that the possibility of art is the possibility of human beings.



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