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シャッターアイランドの結末は、何と言ってもテディ(アンドリュー・レディス)がチャック(シーアン)に漏らす、あの「モンスターのまま生きるか、善人として死ぬか」という最後の台詞をどのように捉えるか、というところにポイントがありそうです。ここでは、あの台詞に至るまでの経緯の真相をすべて説明いたします。
※ネタバレ前提の内容です。ご注意ください!
■妻ドロレスの心の病と、アンドリュー・レディスのアルコール依存
映画の舞台は1954年。それよりも、少なくとも2年以上前、1952年以前の話。
1945年のダッハウ収容所解放に連合軍側兵士として参加し、ナチスの監視兵殺害などで少なからず心に影を持っていたアンドリュー・レディスは、帰国後、連邦保安官の職に就き、妻と3人の子供と暮らしていた。
しかし妻のドロレスは、いつの頃からか、うつ病で心が病んでしまい、住んでいたアパートに放火し自殺しようとする自殺未遂事件を起こしてしまう。その件が原因で、その後レディス家は、湖畔の家に引っ越した。
ドロレスはアンドリューに対して、「私の脳の中に虫がいるの。モゾモゾ動き回って、あちこち線を引っ張ってる」と自分の異常を相談していた。しかし、妻が精神に異常をきたしているなどと考えたくなかったのか、アンドリューは、何の対処もせず、放置していた。
それどころか、酒に溺れ、滅多に家に帰らないような生活を送っていた。
■レディス家の崩壊
1952年、アンドリューの担当した事件が解決し、久しぶりに湖畔の自宅に帰って、早速酒をコップに注いでいると、家に誰も居ないことに気付く。捜して回ると、裏庭の湖の前の椅子に座っている、妻ドロレスを見つけた。
ドロレスは、なぜか全身ズブ濡れだった。そして土曜日で休校なのに、子供たちは学校に行ったなどと、会話がどこかおかしい。そしてアンドリューは、湖に浮いている3人のわが子の死体を発見する。
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アンドリューが泣きながら、子供達の遺体を引き上げていると、ドロレスは子供達をテーブルに座らせよう、風呂に入れよう、などと完全に常軌を逸した発言をする。そして、わずかに正常な感情が残っているかのように、アンドリューに、"私を楽にして"と泣きながら頼む。
アンドリューも涙ながらに妻を射殺し、家族4人の死体が横たわる庭で号泣する。
この悲劇的な出来事がアンドリューの大きなトラウマになってしまう。
■連邦捜査官エドワード・"テディ"・ダニエルズ
アンドリューは、あまりにも辛い現実に耐え切れず、いつの頃からか、連邦捜査官エドワード・"テディ"・ダニエルズなる架空の人物を心の中で創作し、テディとして振舞うようになる。そもそもアンドリュー自身が頭脳明晰だったものと思われ、彼の創作したテディが持つ物語も細部にわたって設定が用意されていて、テディとして活動している時も優秀な連邦保安官であるようだ。しかし、抑圧されたストレスからか、キレやすく暴力的な人格になってしまっている。
妻殺しの罪で有罪となったアンドリューは、精神に異常を来たしていると判定され、精神病の囚人の為の施設、シャッター・アイランドのアッシュクリフ病院に収容されることになったと推測できる。
■アッシュクリフ病院
当時の医学では、暴力的な精神病患者に対して、前頭葉の一部を切除するという外科的な処置、いわゆる「ロボトミー手術」という治療法があった。これにより、患者がおとなしくなる、という効果があると言われていたのだが、廃人同様になってしまう可能性も高い、現代では考えられない危険な治療法であった。
アッシュクリフ病院でも、暴力的な患者にはロボトミー手術を施す、というのが大勢を占める保守派の考えだったのだが、院長のコーリーや、シーアン医師は、危険な外科的処置をしなくとも、投薬や、患者の内面と向き合うような治療を続ければ、心の病も治療できるのでは、という革新的な考えを持っていた。
■アッシュクリフ病院でのアンドリュー・レディス
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アッシュクリフに収容されたアンドリューの主治医はシーアン医師であり、アンドリューは何とかロボトミー手術を逃れており、投薬による治療が続けられた。アンドリュー、つまりテディは暴力的な一面があり、問題視されていたが、シーアンとコーリーの努力の甲斐もあり、1年数ヵ月後に、アンドリュー・レディスとして、正常な意識を取り戻した。しかし、その状態は長く続かず、またもやテディに逆戻りしてしまったのだ。
そうして、テディになったアンドリューは、67番目の患者、嵐、レイチェル・ソランドー、相棒、ダッハウの監視兵殺戮の話、などまったく同じ内容の展開を際限なく繰り返すのだ。
■問題を起こしたアンドリュー・レディス
1954年、入院から2年近くが経ったある日、テディになりきったままのアンドリューに対して、C棟の患者であるジョージ・ノイスが、彼を本名の「レディス」と呼んでしまったことが原因で、テディが激高し、ノイスを滅多打ちの半殺しにしてしまう。
この事態に理事会ではアンドリューに処置(ロボトミー手術)を受けさせるべきだ、という意見になるのだが、コーリー院長が、処置の前に最後の治療を試みさせて欲しいと申し出る。ロールプレイという治療法(※日本語訳や字幕にはロールプレイという言葉は出ませんが英語で話しています)で、アンドリューが創作したテディの物語を、現実のものとして彼に行動させる、というものだった。彼がテディとして行動する内に、必ず現実との矛盾に突き当たり、それがきっかけでアンドリュー・レディスの人格を取り戻せるはずだ、と理事会を説得したのだ。
とは言え、アンドリューをテディとして1人で行動させるのは、あまりにも危険であるので、彼を保護する役として、主治医のシーアン医師が、テディの新しい相棒の役割として、常に一緒に行動することとなったのだ。この治療こそが、本作品の本編である。
■ロールプレイ治療の結末
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テディとして、ある程度自由な活動をさせた結果、患者、警備員などに暴力を振るったり、コーリー院長の車を爆破するなど、かなり際どい暴走をしつつも、最終的に彼は、アンドリュー・レディスとしての人格を取り戻した。コーリー院長やシーアン医師は、今度こそテディを繰り返すのを止めよう、と言い、アンドリュー自身も、医師に感謝を示し、自分はアンドリュー・レディス、1952年に妻を殺した。と罪を背負う覚悟を見せる。
■モンスターのまま生きるか、善人として死ぬか」という台詞の意味
ロールプレイ治療後、アンドリューの元にシーアン医師が現れる。周囲には離れた場所にではあるが、コーリー院長をはじめ、保守派の筆頭、ナーリング医師や、暴力的なアンドリューを問題視している警備隊長などが事の成り行きを見ている。
おそらく、このシーアンの問診で、アンドリューがまたテディとして振舞っているようであれば、理事会の決定通り、アンドリューにロボトミー手術を行う、という判定の場だと思われる。
アンドリューは「この島を出よう、チャック」とテディとして振舞っています。
シーアン医師が、院長に残念そうに首を振り、院長も無念そうにナーリング医師に何事かを言います。そして、おそらく「処置」の現場にアンドリューは連れて行かれることになるのですが、アンドリュー(テディ)は去り際にシーアン医師に、こう言います。
「どっちがマシなんだろうな。モンスターのまま生きるか、善人として死ぬか」と。
もし、アンドリューが本当にテディの人格に戻ってしまっているなら、この台詞はまったく意味の分からないものになってしまいます。
おそらく、この時アンドリューは正常な彼自身の人格だったのに、あえてテディとして振舞ったのではないでしょうか。
「モンスターのまま生きる」は、「妻が子供を殺し、そして自分が妻を殺したというトラウマを持ち、いつまたテディを繰り返してしまうか分からない状態で、この病院でアンドリュー・レディスとして生きる」という意味に取れますし、「善人として死ぬ」は「連邦保安官のテディとして振る舞い、つまり、まだ精神異常だと医師らに思わせることにより、廃人同様になってしまうであろうロボトミー手術を受ける」と取れます。
つまり、あえてテディとして振舞った彼は「善人として死ぬ」道を選んだのだと思います。
それでは彼はなぜ、自らロボトミー手術を受ける決断をしたのでしょうか。
考えられるのは、彼の心は疲れ果てていたのではないか、という事です。
子供が死に、そしてドロレスを射殺した記憶が戻っただけでも彼の心には耐え切れない痛みがあるはずです。何しろ今まで、その痛みから身を守るために「テディ」という人格を作り上げていたくらいですから。そして、またいつテディになりきってしまうかもしれない不安もあったかもしれません。加えて彼の夢や会話に出てきていた、戦争中に殺した兵士や助けられなかった人々。そういった数々の人の死が、彼の心に重くのしかかっていたのではないでしょうか。
ロボトミー手術は、言い換えれば精神的な死だと言えます。そしてそれを自ら選んだテディは、精神の自殺を選んだと言い換えることができます。それは彼にとって、辛い現実からの逃避であり、傷つけた人々への贖罪であり、そしてあまりにも悲しい祈りだったのかもしれません。
彼の口から、この言葉を聞いたシーアン医師が「テディ?」と呼んだのは、シーアンも上記のように考えたからではないでしょうか。つまり「テディ?もしかして記憶が戻っているのか?」と言いたかったのではないでしょうか。しかし、そうだったとしても、悲しすぎるアンドリューの決断を彼に止めることはできないのではないでしょうか。
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