2012年5月4日金曜日

Tnaru@asean: たくましく!:【書評】そこに日本人がいた!―海を渡ったご先祖様たち


 

そこに日本人がいた!―海を渡ったご先祖様たち (新潮文庫)
熊田 忠雄

 

本書はタイ・バンコクの古本屋でみつけた1冊。今でこそ、日本語の古本が海外で手に入るほど、日本人は世界に散らばっています。

ところで、最初に海外で生活を始めた日本人には、どんな物語があったのだろう?

 

毎年、日本人の海外居住者数は増え続けています。平成23年(2011年)発表の外務省統計では、前年比約1%増の1,143,357人。この数字は届け出ベースなので、実態はその3倍の約300万人と400万人とも言われています。その規模は日本の都道府県人口の10位静岡県(370万人)や11位の茨城県(290万人)に匹敵するほど。

日本人にとって海外生活は今や「当たり前」になったのかもしれません。

ところで、なぜかつての日本人は海を渡り新たな土地へ足を踏み出したのか。ましてや今ほど立派な船も飛行機なかった時代に。今の僕には「好奇心」が一番目の理由ですが、当時の移動手段では一歩を踏み出せなかったでしょう。

本書には一歩を踏み出す「好奇心」以外の何かが、それぞれの物語に込められています。

本書から垣間見える理由の一つは「貧しさ」と「たくましさ」。チオ(ニューカレドニア)へ渡った人々の物語は悲惨さを極めます。明治時代に同地へ出稼ぎ労働者として出向いた彼らは劣悪な労働環境で多くの人々が命を落としました。


ベンシェパード、社会不安、サウンドガーデン

今いるベトナムにも似たような光景が広がります。毎年多くのベトナム人が海外出稼ぎ労働者として、日本や韓国を始めとした世界の国々へ出ていきます。ベトナム政府も全面バックアップです。低賃金で労働者を確保したい先進国企業と、200万円程度の貯金が大金となるベトナム経済の現実から、両者の思惑が一致した結果です。かつてのチオほど劣悪な労働環境ではないにしろ、原動力となる「貧しさ」は当時も今も変わりません。

一方、「貧しさ」から抜け出すために、一攫千金を目指した「たくましい」日本人の物語もあります。ウラジオストック(ロシア)、ポイントバロー(アメリカ・アラスカ)、ケープタウン(南アフリカ)の古谷駒平やディエゴスアレス(マダガスカル)の赤崎伝三郎など。彼らは裸一貫、一から現地で商売を立ち上げていきます。

今でこそ、海外進出をする時にネットや各資料で情報収集が可能です。また、進出した先には必ず先人の日本人や日系企業があります。「進出先での活動は失敗の連続」も現実ですが、少なくとも、お互いの失敗を笑いあえる仲間がいます。

しかし第1号の日本人は失敗を笑いあえる仲間はいません。ましてや言葉も何もわからない状況下で商売を始めます。

かつての先輩から無言の檄が飛んできます。


方法湾公園に?

もう一つ忘れてはいけない日本人の存在。それは本書でも随所にでてくる「からゆき」さんの存在。同じように「貧しさ」から抜け出すために、「たくましく」も海外諸外国へ売春婦として渡った女性たち。それも、欧米のみならず、アジアやアフリカの諸都市にまで。彼女たちは稼いだお金を故郷の両親へ仕送りし続けます。故郷へ戻れた人もいたようですが、なかにはその土地で命を落とした人もいます。

その他、本書には様々な物語が語られています。灼熱のスエズ運河を渡った日本人の記録。元エリート軍人だった諏訪秀三郎がパリでホテル経営者となった物語。ヴィエンチャン(ラオス)へ向かった2人の日本人。メッカ訪問の日本人第一号を目指しイスラム教徒となり、見事その第一号となった山岡光太郎の物語など。

なんとも個性豊かに、たくましく生きた人々の物語です。

本書には残念ながらベトナムへ最初に渡った日本人は収録されていません。

参考までに、遣唐使として中国へ渡った阿倍仲麻呂がその最初と言われています。また、日本人街も江戸時代の朱印船貿易を契機に、北部のフォーヒエン(フンエン省)や中部のホイアン(クアンナム省)にありました。

特に、元堺の商人でフォーヒエン村の有力者だった和田理左衛門の娘・千代は、陶器製造で有名なバッチャン村の将軍グエン・タイン・チュオンの正妻として迎えられています。(出所:ジェトロ  ベトナム人材調査 歴史と文化から見たベトナム人 ~人材育成と活用への心構え~)

今やベトナム全土に日本人は1万人いると言われています。ご先祖様たちの生きざまを読んだ後、文句なんか垂れていられません。


どの国に位置するポンペイの古代都市は何ですか?

 

a.熊田忠夫氏のプロフィール:

熊田氏は元日本放送の報道記者。記者時代、そして退社後に訪れた国々で得た情報が本書の基礎データになっているようだ。

なお、本書では以下のように記載されている。

【筆者プロフィール】
1948年福島県生まれ。早稲田大学商学部卒業後、'70年㈱ニッポン放送入社。報道部記者、総務局長、編成局長、取締役を経て、2005年退社。記者時代の取材及び趣味で、世界数十カ国を回った。

 

b.熊田忠雄氏の著作:

熊田氏の過去の著作はこんな感じ。


 


本書の目次はこんな感じ。

はじめに

第1話 南アフリカ/ケープタウン

第2話 ニューカレドニア/チオ

第3話 エジプト/スエズ運河

第4話 イタリア/パレルモ

第5話 メキシコ/アカプルコ

第6話 ロシア/ウラジオストック

第7話 ポルトガル/リスボン

第8話 マダガスカル/ディエゴ・スアレス

第9話 ラオス/ヴィエンチャン

第10話 トルコ/イスタンブール

第11話 チリ/バルパライソ

第12話 ミャンマー/ヤンゴン

第13話 イギリス/ロンドン

第14話 フランス/パリ(その1)

第15話 カーボヴェルデ/ポルトグランデ


第16話 スイス/ローザンヌ

第17話 ニュージーランド/インバカーギル

第18話 アメリカ/ポイントバロー(アラスカ)

第19話 サウジアラビア/メッカ

第20話 パナマ/パナマ運河

第21話 フランス/パリ(その2)

第22話 セーシェル/ビクトリア

あとがき

 

そこに日本人がいた!―海を渡ったご先祖様たち (新潮文庫)
熊田 忠雄



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