先日ミョウガの新芽が美味しいとブログに掲載しましたが、このように食べている。夕食前に犬を連れて、ミョウガ農家が昨年、根の部分を捨てた山に行き、ミョウガダケを収穫して食べている。毎晩だと厭きるので、2日に一回ぐらいの割で、焼いて食べております。
今は沢山のミョウガが新芽を出ており、幾らでも収穫出来ますが、そんなに食べられないので、食べられると思う本数だけ、しかも太いのを収穫します。
こんなに太いミョウガの新芽です。私はマヨ醤が好きですので、このようにして、一杯飲みます。
勿論皮を剥きながらですので、芯は細くなります。全体の3分の2は皮の部分ですので、食べる量は少ないようです。
5月5日から、2回目の草取りに入った。草取りは簡単な道具を作って、腰をかがめずに土の表面を搔き混ぜるのだ。
1っ回目は、田植え機が稲を植えた筋に沿って搔き混ぜるて行くのだが、田植え機は幅が多分30cm位で植えるから、幅が20cm位の道具で稲の直ぐ横1cmぐらいまで搔き混ぜる。
2回目は、田植え機が植えた稲を横から搔き混ぜるのだ。田植え機の植える間隔は調整出来るが、我が家のは16cm位で植えて行く。だから横幅より狭い。だからその分道具の幅が狭いから、道具が軽いが幅が狭いので時間は掛る。
写真のように私が作ったのだが、幅を11.5cmにした。これで稲の筋を横から搔き混ぜる。これで、一応それぞれの稲の回り360度を完全に搔き混ぜた訳で、これから雑� �が生えても、もう田植えから1カ月以上過ぎているから、稲の方が早く成長する。
但し、除草は面倒なので、2回目は全部はしない。大変な作業だから、本来なら遣りたくない作業だし、田圃の雑草の生え具合を見ながらであり、半分以上の田圃は1回の除草だけで終わる。
道具の横に置いているのが、今回浮いて来た雑草で、最大のものだった。早くもこんなに成長している。
このようなモノで、ビス(木ねじ)を2cmぐらい出している。これを前後に押したり引いたりする事で、雑草が水面に浮いて来る。浮いた雑草は根が土に触らないから、腐って行くのです。
勿論、浮いて来る雑草は、目にも見えないぐらい小さな、細い白糸の屑のようなものばかりが沢山浮いてきます。写真のように大きいのは田植え後1カ月では珍しいから、持ち帰って写真に収めたのです。
何年前だったのか、多分3年位前だったと思うが、カコの小屋が腐ったので、ステンレスの網を買って来て、新しく作った。それが早くも床が腐ったようである。女房が「カコの小屋の床を直して」と言って来たのだ。
迫害を逃れ、私たちに移住したユダヤ人
この小屋の大きさは90cm×90cmの大きさである。その床が腐ったのだろう。毎日水を掛けて洗うのだから、早く腐る筈だ。
大問題は、床の所の全体を取り換えるのだが、止めていたビス(木ネジ)が錆びており、殆どのビスが電動ドライバーで逆に回しても、出て来ない。
つまり壊すのに苦労したが、色々考えて、何とか床を除き、それと同じモノを作り、取り変えた。
それはそれで良いのだが、最近は木工作業も遣らなくなったが、このように木工作業を遣っていると、やはり面白いのだ。生き生きと、まるで水を得たカッパのように、作業をする自分が分かる。
何でも良いから、何か注文は無いだろうか?運賃さ え出して貰えるなら、何でも作れるのだが。冷蔵庫の間が何cmか空いているから、其処に入る整理ボックスや、子供の木の玩具等、何でも作れます。
また高知市内等に行くと、結構人通りの多い場合がある。それを見ると、私の作った木工作品を道に並べて売りたいと思う場合がある。今までの経験で、人通りの数で大体の売上が分かるのだ。だけど女房が「もうそんな事しなくても良い」と言う。
確かに売るのは面倒だが、作るのは楽しいのだ。木工趣味はそれで困る、つまり作ると場所を取るから、処分しない事には、どうにもならないのだ。必要で無い物は作れないのだ。
このように床のコンパネと床枠とを新品に取り換えた。女房が餌を遣る時に、頭を打つと危険だから、トタンの端にも木で桟を作った。
カコの遊び池の上に置いているし、毎日水で床を洗うから、早く腐るが、もうカコも十数年生きているから、この床が腐る頃には死ぬかも知れない。
新聞に寄ると自然再生による電気の値段が決まったようだ。太陽光は42円だそうだ。風力は20KW以上が23.1円、小型風力は57.75円だ。木材等の固形燃料は13.65~33.6円まで色々と幅がある。
因みに現在の電力コストだが、石炭火力5.7円 LNG火力6.2円 水力11.9円 原子力は5.9円だが、今回のような事故が発生すると、原子力発電のコストは計算ができないような単価に跳ね上がる。
問題はそれ等の安いコストの電気を利用して日本の産業と、国民の生活が成り立っているという事だ。
所で、私のような単純な頭の人間には、今回の自然電力コストが、どうも良く理解できない。
まあ、どんな方法で電力を作ろうと、使用する我々や、会社はそのコストより安い単価で� ��その電気を使うようである。
だから再生電気が混じると、当然その分の単価が加味され、上がるのだが、一般家庭で月に100円や150円の世界で、微々たる値上げでしかない。
耳の滝カナダオンタリオ州
何処の家庭でも1万円前後は使用しているだろうから、3000円とか5000円上がると言うのなら、良いのだが、月に100円や150円のアップで、原子力発電の代わりになる筈がないのは、その金額からだけで、微々たる電力でしかないと言う証明でもある。
そんな微々たる電力で、原発の代わりが出来る筈が無いのは明白だし、この再生電力は必要な時に必要な電気は起こせない。真夜中でも風は吹くし、雨が降れば太陽発電はできないのだ。
そんな電気を高く買って、損して安く売るのが、再生エネルギーのようで、それは炭酸ガスを出さないノーカーボンだし、それは良いのだが、私の今回の疑問は、それぞれの単価の差があって良いのだ� �うかと言う馬鹿な疑問だ。
まあ、それぞれの発電コストを考えて、決めたのだろうが、コスト差を付ける事に、何となく納得が出来ない。何故なら自然発電の業者が努力しなくなるからだ。
このコストは、外国に逃げるお金でないから、少々高くても良いと言う発想は分かるのだが、再生エネルギーによる電力の全ての買い入れ単価を同じにして、より安い方法の再生エネルギーがより儲かるようにするのが、当然と言うか自然ではなかろうか、と言う単純疑問なのだ。
再生エネルギーの電気を、全て同じ単価にすれば、始めの頃は儲かる方法の再生エネルギーの電力が先ず開発されるだろう。それが自然だと思う。
だけど、このように電気の生産方法によって買い入れ単価の差を始めから決めるとなると、どうも� �く理解できないのだ。
所謂、日教組が遣る運動会のようなもので、各児童の走るスピードを考慮して、走者毎にスタート位置を変えると言うあの馬鹿な運動会のような気がするのだ。そして仲良くお手手つないでゴールインなのだ。こんな事で再生電気が発達するのだろうか?
私は馬鹿なのかも知れないが、誰一人この問題を提起しない。自由主義社会とはそんな変な人為的な仕組みで伸びるのだろうか?
安いコストの電気を考え出して実行した者は大きく儲け、高いコストの電力は全く儲からないと言うのが自由主義経済ではなかろうか。
どの再生電気もそれぞれに重要だから、どれもコスト割れしないようにすると言う発想なのは理解できるが、日教組的で何となく変な気持ちなのだ。
どんな方法で再� ��電力を作っても、それなりに儲けさせて貰える仕組みなら、真剣に改良に改良を加えて行くだろうかと言う疑問なのだ。温室育ちの電力が伸びると思えない。
私が変人なのか?
太平洋戦争はエネルギーで始まり、エネルギーで終わったと言うのが、後世の歴史家の一致した意見である。つまり、先の戦争はエネルギーで戦争が始まり、エネルギー不足で、日本が負けたのだと言う意味である。
そして今回の話だが、巨艦の即停止は無理であり、つまり今回は、原子力発電の再開問題を言及したい。
motorcyclersは、ヘルメットの議論を着用する必要があり
結論から言うと、今の一連のマスコミ報道からして、原発の再開は無理だろう。そして、この夏、大阪で計画停電が始まり、民衆は右往左往しながら、追い込まれ、そしてやっと世論が大飯原発の再開に傾くのだろうと、推測する。
そして、何処かの原発で、定期検査後の再開ができると、後は雪崩を打ったように、再開して行くのだろう。
そのような予測が出来るのも、変な話だが、そんな回り道しか無いのも、民主主義の意見調整と言うか、意見集約の過程なのだろう。
電力は今の技術では貯めるのは難しく、消費と生産を同時にするのだから、夏の最大の消費時間に合わせた発電能力が必要なのだ。
そ� �て、日本の経済は巨艦である。小さなボートでは無い。巨艦はストップを掛けても5キロ位は前に進む。日本経済もそれと同じで、原発の即停止は不可能だと言うのが、国民には分からないようである。
これから長い時間を掛け、原発の代替発電を促進しながら、原発を廃止に追い込むと言うのなら、理解できるが、どっちにしても即停止は無理なのが、分からないようで、残念だ。
だから、私は大阪の橋下の諸々の意見は99%理解し、支持もしているが、事この原発に関しての発言は、指導者としては間違っている。総合的発言では無いと言う意味だ。それなら代替方法を説明する責任がある立場なのだ。
代替発電を言わずして、原発停止に追い込むのは立場上、間違っている。彼は今や一般庶民では無いのだ。
それとも、原発を即停止し、経済や生活が目茶目茶になっても、その方が大阪に、イヤ
日本に良いと言うのなら、つまり其処まで考えての橋下の意見なら、理解できる。
所で、原発反対派に取っては、今が最大のチャンスであり、もし再開したら、原発廃止に追い込めない。経済などどっちでも良い、要は今のチャンスを逃がさないと言う人達だから、それはそれで、彼等の行動は分かる。
だけど私の意見は違う。経済も生活も維持し、代替発電を促進しながら、数十年で原発を縮小廃止に追い込むべきだと思っている。
そうこうしている内に、原発に対抗できる新しい安全なエネルギーが開発されるかも知れないし、世界のエネルギー情勢も段々と変化して行く。
日本はエネルギー小国なのだ。� ��数年で国際収支が赤字必至の状態であり、どのようにエネルギーを入手するのか。
最近、収穫した椎茸だが、写真のような大きい椎茸があった。即、小さく切って、乾燥させたので、測っては居ないが、直径が22~23CMぐらいもあったように思う。今までの記録でなかろうか。
最近は雨が多く、収穫を一寸忘れると、このように大きく成る。
横の蚊取り線香の缶と比べて欲しい。大きさが分かるでしょう。横のが普通の椎茸です。
4月の始め頃、我が部落に犬が捨てられた。時々見るのだが、目撃する度に痩せて行く。辛いものだ。
そして4月28日の昼ごろ、我が家の犬や鶏が騒ぎだした。やはり、その野良犬が我が家に近づいたようで、女房が餌で釣って、とうとう捕まえた。
余程お腹が空いていたのだろう、ガツガツとドッグフーズを食べるだけであった。まあこれで、保健所に渡されるまでは、飢える事はない。捕まえたのが連休に入った時だったので、数日の間に、痩せた体も少しは回復するだろう。
世間には、このように捨てる人も居るのだが、困った人種である。どうせ4月だから転勤で、捨てたのだろうが、常識を疑う。自分が捨てられたら、どう思うのかが、愛情である。結局、5月1日に保健所に電話して、引き取りに� ��て貰った。もう捨てないで欲しい。
今までに約20年間で、恐らく30匹位の犬や猫を保健所に引き渡した。それは飢えで長期間苦しむより、瞬間に死ねる方が良いだろうと思うからである。
そして、ペットを飼うなら避妊手術をして欲しい。必要無い命をこの世に産ませないのが買主の責任だ。
我が部落でも猫を可愛がる家族が結構いるが、誰一人として避妊手術をしない。それとなく「避妊手術をすれば、」と言うが、誰も実行しない。避妊手術は僅か2万円なのだ。それが惜しいのだ。そしたらペットフードも惜しい筈なのに、変な人種である。
そして「目が開かない内なら、捨てても良い」と馬鹿の一つ覚えのように私に言う。最近も生まれた赤ちゃんを、即平気で捨てた。
常識が無い人達に は、どうにも遣り切れない。「目が開かない内なら、捨てても良い」と言うのは捨てる側の得手勝手な論理なのだ。だけどその意味が分かっては居るのかも知れない。そうでないと何時も同じ事を言って、自分の行動を正当化する必要はない。
我々に慣れたようで、カメラを向けると、このように喜んで寄って来る。
保健所の車が来て、檻に入れたが、出ようとしている。可哀想だがね。
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